・・・といっても、ほとんど師匠とその弟分(仮にムツオさんと呼ぶことにしよう)のお世話になって、
自分で獲ったのはあまりないのですが・・・。
自然の恵みから、自分たちが食べる分だけいただいて、鮮度のいいうちに食べる。
この、昔はあたりまえだったけれど今は贅沢かもしれない体験をしてみたかったのです。この旅で。
首都圏に住む人間のワガママかもしれませんが、今首都圏に限らずオキナワブームで、
私はそこに住みながら、沖縄料理をいつでも楽しめ、沖縄の食材などが気軽に手に入る環境にいます。
波照間島に行ったなら、ぜひとも地の物を地元の調理方法で食べてみたい、そう思っていたわけです。
というわけで、宿にはワガママな客となりましたが、2回の晩ご飯はキャンセルし、師匠の家でいただきました。
お世話になるかわりに、こちらからは、
八重山では手に入りにくい本土産のうまいお酒を事前に送っておいて・・・と。
まずは、初日の石垣での夜釣り。
出かける前に師匠が木から何かもいでたと思ったら、マンゴー。カヤックの上でモグモグ。
その夜釣った魚は、翌日波照間にて魚汁と刺身で。
魚汁、1人1匹魚丸ごと!これだけでおなかいっぱいになりそう。
刺身は、大根の代わりに長命草という野草のツマと、醤油にはシークワーサーを絞って。
私は調理してもらったのを食べるお客さん。
それと、ムツオさんが用意しておいてくれたパッションフルーツ。これも買ったわけではない。
初日の釣りに行く前に師匠の畑から採ってきたゴーヤーも、チャンプルーに。
師匠、ムツオさん、師匠の知り合いなどとガヤガヤと飲み会。
私は星空観測ツアーの前に準備を手伝って、ツアーが終わってから合流したのだけれど、
みなさんすでにできあがって、まぁ楽しいこと!
3日目、サトウキビの苗作りの手伝いをしながら、その切れ端をその場で口に放り込み歯で砕く。
じゅわっと甘い砂糖エキスがしみでてくる。種類によって甘みが違うのがわかる。
多少の砂やら土やらもへっちゃらになってしまう。
太陽の下での野良作業にもってこいのオヤツ。
(ちなみに、島内のサトウキビは17種類ほどあるそうですが、主に栽培されているのは4種類ほどとか。
この時期に「苗」作りをするのですと。
苗は、育ったサトウキビを、節々にある芽が2つずつになるように30cmほどの長さにカット。
それを植えて増やすのだそうです。 9月が苗植え。今年は台風が多くて作業も遅れ気味とか。
そのカットの際に出る切れ端2cmほどの厚さのものを、口にほおばって噛むと、甘〜い水が。
太めに育つ「タイワン」という名前のものが、甘みがあっておいしかった!)
午後、私が波とたわむれ(ウソ、もまれて)シュノーケリング(らしいことを)している間に、
師匠とムツオさんが獲ったサザエとシャコガイ。
シャコガイの一つは、ムツオさんが浜に上がったその場で一口大に切って貝殻に盛ってくれ、
ちゃんと用意してあった醤油をたらして食べる。
「貝柱が一番おいしい」とすすめてくれる。
うまい!ほんのわずかな貝柱を一番にいただきました。感謝!
同じ時間に1人海に入って魚を獲っていたしまんちゅのオヤジさん(多分60歳は越えているだろう)からは
魚をおすそ分けしてもらった。
まずは、魚を運ぶところからお手伝い。
私は小さめの魚3匹を運ぶ。まだ少し動いているものなどもいる。全部で7〜8匹はいたか。
そして浅瀬にしゃがんでその場でおおまかなことは処理。
ムツオさんはナイフで、師匠はそこに転がっていた大きな貝殻でウロコを取り始める。
私もやりたい!でも道具がない。
道具がなければ私もその場で調達すればよいということで、
ウロウロして、細かな凹凸があってかつ魚のボディーラインにあったカーブのサンゴを拾い、
試してみると・・・おおっ!取れる取れる!
次にナイフで入れた切り目から内臓を取り出す。
いつも家では包丁でやっていて内臓を直接触ることはあまりない。
今日は、さっきまで生きていた、いや、ものによってはまだ虫の息がある魚の内臓を手で取り出す体験。
ファースト・トライは触ってすぐに手を引っ込めてしまった。
セカンド・トライ・・・、この魚たちの命をいただいて自分たちの命をつなぐのだと思うと、
「ゴメンね」という気持ちと畏敬の念が自然とわいてきて、思わず手を合わせたくなった。
そして「ありがとう」と、思い切って内臓やエラを取り出す。
とまどいながらもやっと一・二匹の処理ができてきた間に、師匠とムツオさんはサクサク手早く処理をすませている。
と、突然師匠が潮溜まりに捨てた内臓を再び手にして、腸の部分だかどこかをちぎってしごいて中身を出し始めた。
そして中身がなくなってチューブ状になったものを、おもむろに私の目の前に突き出し「食べてごらん」。
・・・ということは食べられるということですね、と、シャコガイの殻に残っていた醤油をつけて口にする。
・・・うん、甘みがあってコリコリして、・・・これは珍味だ。
新鮮なうちにしか食べられないのだろうなぁ。ここで食べるからおいしいんだろうなぁ。などと考える。
ウォータープルーフのフィルムカメラを持っていっていたのに、水中ですでにフィルム切れ。
魚やシャコガイの姿や処理しているところなどは映せなくて残念。
戻って、私は一旦やどで洗濯と風呂をすませ、再び師匠宅へ。
今度は、「野草とりに行くから」と休む間もなく連れ出される。(リクエストしてたからね。)
すぐ近所で、3種類の野草を摘む。長命草と、ヨモギと、もう一種。
長命草とヨモギは独特の香りがした。八重山のハーブですね、これは。
ヨモギは本土のヨモギとちょっと形も違ったし、香りも違った。
晩ご飯には出なかったですが、おかゆに入れるのですと。
そしてさっき獲ったりもらったばかりの魚とシャコガイの刺身。サザエの網焼き。
そうそう、アダンの実の入ったいろいろ野菜の酢味噌和えも食べました。
味はそんなにクセがない感じ。シャリシャリとした歯ごたえが印象的。
師匠やその家族、ムツオさん、
途中から師匠らの友人や、私と同じ宿で前の晩に一緒に星空ツアーに行った一人旅の女性も呼び、
その夜も楽しい宴会が延々と続いたのでした。
そうそう、
島流「魚の3枚おろし」の実演タイムもあり、
私もちょっとやらせてもらって、その場で刺身にしたりというオプションもあり。
いまでこそ島には集落ごとに商店があり、船や飛行機で他との行き来も頻繁にできる環境だけれど、
よく考えたら、昔は自給自足に近い暮らしだったのだろうな。
だから、自分たちで魚や貝を獲ることができたり、どの野草がどの調理にむいているのか知っていてあたりまえ。
そして食べられるものはきれいに食べる。
自然の命を、食べる分だけとって、最後までありがたく無駄なくいただく。
残すのさえ申し訳ないと思ったりもするから不思議だ。(でも満腹で食べられませんでした。すんません。)
「自然から命をいただく。ともに生きる。」だからこそ環境を守りたいと思う。
・・・都会で暮らしていたら忘れてしまう感覚。
私も山によく行ってた時は、食べられる野草を見分けられるようになりたいと思ったりもしていたけれど、
最近はすっかりご無沙汰だなぁ。
今はともかく、日当たり悪いけれど運良く手に入れた畑で、もっとまじめに野菜作りにとりくむことだな。
[2004年8月下旬現在の情報です]