感染:小学生5〜6年、潜伏期間:20ウン年、
発病:数年前に知人に波照間に誘われるも行けなかったころから少しずつ症状がみられはじめ、
2年前に「沖縄病」にも罹ってしまったことを契機に
去年の暮れあたりから少し悪化し始め、今年の春頃にはとうとう重病となってしまった、「波照間病」。
「来たらなおる。いや、悪化するかも?」と師匠にからかわれるほどだったが、
行って悪化したのか、はたまた、病気を病気とも思わないほど身近になってしまったか…?
いずれにせよ、旅先での自然や人々から得たたくさんの「ぬちぐすい」のおかげで、
私のくたびれかかっていた心を大きく弾力性を持った球体にもどせたし、
コリコリになっていた肩や体もほぐれたし、
結構度胸がついたなぁと思うし、われながら勇気があるもんだとも思えたし、
「私は私でいいのだ」と、自分らしさ、自分のよさを再確認できた、
…ということだけは確かなのだ。
日頃、どちらかというと心配事や失敗のことを考えて弱気になりがちな傾向がある私。
一生懸命やっていたり、自信にあふれている時もある一方、
どこかで自信がなかったり…。
でも、今回の旅で、自分の中に度胸や勇気や自信が芽生えてきた感じがするので、
そのあたりで感じたり考えたこともちょっとまとめておきたいと思う。
一つは、この旅そのものをやれたことだ。
一人旅に慣れている人にはたいしたことではないのかもしれない。
私にとって今回の旅は、出張や昔住んでいたなどのゆかりのある土地以外で
初めて行った一人旅だった。
旅先で合流してお世話になる人たちがいるにしても、旅券の手配、宿の手配、
そして「天の川を撮りたい」という一念から、
ほとんど知らない分野であるカメラを調べ、レンズを調べ、三脚を調べ、星の撮り方を調べ、店と値段の交渉をし、
晴れた夜には仕事から帰ってきて夜中近くに1人で近所の丘にでかけて撮影の練習をし…
よくもまぁ、そこまでやったなぁと思う。調べごとでムチャクチャ寝不足が続いたりもした。
帰りは石垣島で、あの暴風域だけで32時間あった台風17号に遭遇し。
人のお世話になりながらも、初めての欠航、しかも2日間。
3日目、キャンセル待ちをしながらようやっと丸一日かかって帰宅。
飛行機の旅もほとんどしたことない私が、
空港から先は自分だけを頼りに何とか帰りつかねばならなかった心細さと、
その一方で、なんとしてでも帰る、どうにかなるという、どこからともなく湧き上がる気持ち。
それもこれも、旅でいろいろな体験ができたからこそ、意外と落ち着いていられたのだなぁと思うのだ。
まずは、師匠とその周囲の人たちに、心から感謝したい。
あたたかい心、あたたかい関わりをありがとうございます。
何かにつけ、やる気やチャレンジ精神より先に、不安や弱気を口にしてしまう私に
「心配するな〜」と深く広い器で笑って流してくれた師匠。
初対面で突然その生活圏に乱入した私にもかかわらず、
いろいろ楽しめるように考えてくれたり、手助けしてくれたり、
とことん遊びや飲み会につきあってくれたムツオさん。
こっちが突然お邪魔したりお世話になった方なのに、
お土産をもたせてくれた師匠やムツオさんのお母さんたち。
星空観測ツアーで「天の川」が撮れるようにといろいろ考えたりアドバイスくださったガイドさん。
晩ご飯はいらないと言う私のワガママを聞いてくれた宿の方々。
一緒に飲んだり食べたりして楽しい時間を過ごした、島の人や旅の人たち。
そんな人たちとの出会いのおかげで、1人で外からながめて終わる観光の旅でなく、
島の生活の一部に触れ、沖縄・八重山・ベスマー波照間島の心に触れ、
私自身も本当に暖かな気持で満たされました。
自然の中で、夢中になってとことん遊び、体験する、
そんな時間を過ごせるようにサポートしてもらえたおかげで、
私自身の中のパワーに触れることができました。
また、自然そのものにもずいぶんと元気をもらった。
その場にいるだけで、体のこわばりや心のこわばりがゆるみ、
絶えない好奇心であちこちを見てまわることで「もっと。もっと。」と心が欲張りになり、
童心にかえって、まぁるい心にかえって、「素のわたし」にかえって、
時に、大波に振り回され、サンゴで擦り傷を作りながらも、それに立ち向かい、
命を分けていただき、
果てしない海と宇宙の中で、この星も木々も海も生き物も、
出会った人たちも、私自身も、かけがえのない存在だとあらためて気づかされ…。
うれしかったのは、師匠やムツオさんから自然学校(今回の旅を勝手にそう名づけた)の生徒として
認めてもらえたことだ。
(仲間とはおこがましくて言えない)
都会からやってきた私が、いったいどんな人間なのか、実は知らない間に見られていた…。
というか、わかろうとしていてくれたんだなぁと思う。
最初は「五感を持っていても、二感ほどしか使っていない、こんな人初めて見た」とあきれられていた。
が、
サトウキビ倒しも少しやらせてもらった時、
最初は鎌がうまく使えなかったけれどちょっと教えてもらったらすぐうまくやれて、「素質があるかも」とほめられ、
あの荒波の磯でなんとか1人で泳いだり楽しんでいた姿は、
「(心配しながらも)たいしたもんだ!と思った」と言われ、
魚の内臓を「食べろ」と差し出されて素直に食べたのにも意外だったようで、
サンゴでウロコ取りをしたことは「自分で道具見つけてきてやってるよ!」と驚かれ、
ゴーヤーを切ったり、島流魚の三枚おろしをつたない手つきでなんとかやったのもチェック入っていたし、
私なりのみんなへの気遣いも伝わったみたいだし…。
3日目の夜には、「五感のうち四感くらいまでは使い始めてるな。」と1学期の及第点をもらい、
(そう、また行って2学期やるぞー!)
でも、「え?例えばどんな点が?」と教えてもらおうとすると、「自分で考えろ。」とつき返され…(^^;。
厳しくもあたたかく、本当にあたたかく見守ってくれた人たちなんだなぁと、とてもありがたい気持ちになった。
いろいろリクエストしたワガママを、一つでもたくさん叶えてやろうと、いろいろ考えて、時間もとってくれて…。
「イチャリバチョーデー」という言葉があるが、こういうことをいうのかなぁとシミジミ思った。
私は日常の生活で、ここまでとことん相手の身になって親身に関わっているのだろうか?と反省もした。
「ありがとう」とお礼を言うと、二人とも「自分にお礼はしなくていい。その気持で他の人に何かしてあげて。」と言う。
こういう人と人とのかかわり方、ステキだな。こういう深い暖かさ、最近どこかに置き忘れていたかもな。
いろいろと学ばせていただいた。
そんなかかわり方を、今回肌で、身を持って感じさせてもらえた私は、すごくお得だと思う。
身を持って感じ、体験し、気づいたことは、
今度は自分が与える側になって他の人にもしてあげることができると思うから。
今一度こうやって振り返ってみると、得るものが多い旅だったとつくづく思う。
心から、「にぃはいゆ」 (ベスマームニ[波照間島の言葉]で「ありがとう」)
[2004年8月下旬現在の情報です]