--2005/11/30----------
◇「“心の器”の中身(5) 〜感受性と表現の個性〜」
「心が、体験やそれにまつわる気持ちを貯めていく器だとしたら…?
それぞれの人の“心の器”には、どんなものがどれくらい入っているのかな?」
時々そんなことを考えたりします。
今回は、「感受性と表現の個性」についてです。
交流分析とは少し離れた点も多々ありますがが、今自分の中でいろいろ考え
ているホットなテーマなのでご了承下さい。(苦笑)
私事ですが、先々週の週末から一週間、ある会のお仲間と二人で初めての写
真展を開催しました。
相方のHさんは日常の中で撮りためた湘南の海や空を、私は沖縄・八重山諸
島への旅行で撮影した風景を、額装したり、カレンダーにして、展示しまし
た。
展示された作品は、一目でどちらのものか分かるくらい印象が違い、また話
しているうちに互いの風景に対する向き合い方も違うことが分かり、とても
面白く感じました。
互いの作風には、その個性にも幼い頃の親とのかかわりの中で取り込んでき
たものが影響している部分もあるのだなぁ、興味深いなぁと思った次第です。
Hさんが精力的に写真を撮り始めたのはここ一年ほどだそうですが、実はお
父さんが花や虫のカメラ撮影が趣味の人で、カメラそのものは小さい頃から
触れる機会が多かったといいます。
お父さんは大人用の虫取り網とカメラを、Hさんは子ども用の虫取り網を持
ち、野山を一緒に歩き回った思い出を語ってくれました。
また数年前に、ネイチャーゲームのようなものを体験し、それまで忘れてい
た「自然が好きだ」ということを「思い出した」のだそうです。
そして、それまでやっていなかったデジカメで自分の好きな自然の風景を撮
るという行動を起こし、それが積み重なって、今回の写真展開催に至ったよ
うです。(偶然私も、旅で撮りためた写真を見てもらう写真展の機会を持ち
たいと思っていたところに、たまたま会う機会があり、一緒にやることにな
りました。)
私はその話を聞いて、知らない間に幼い頃の親子のふれあいの思い出が今の
Hさんを作り上げている一つの道筋なのだと思ったのでした。
Hさんの作品は、実在の風景でありながら実在とは思えない幻想的なものも
多く、また同系色でまとまっているものが多いのが一つの特徴でした。
海や砂浜を接写しているものや、色は青なら青系統、黄色系統、オレンジ系
統といったようなたとえ方ができるものなどでしたが、それらになんとなく
共通して見えるHさんらしい視点があるような気がしました。
本人いわく、「何かを感じてもらったらそれでいい。何を感じるかはその人
の自由。」と語りました。
また、本人にとってデジカメで風景を撮るということを別の言葉で表現する
と、それは刻々と変化する色や形を「閉じ込める」ということなのだそうで
す。
そういった表現の個性、感じ方の個性がどこから来るのかまではわかりませ
んが、Hさんの語り方を見ていると、決して早口でなく、自分の内面に言葉
を探しに行くように時々目を閉じて何かを感じ、キャッチしたものを言葉に
しているように見えました。
そういった自分自身との対話の仕方はどこから来ているのか興味津々でした。
今までの人生の中で幼い頃からの周囲との交流の中で身につけてきたパター
ンなのか、生まれもってのその人の特性なのかは、そこまでは分かりません
でしたが・・・。
Hさんとはそれほど長い付き合いでなく、今回一緒にこういった活動をする
中で、いろいろな話を聞きその人自身とより長い時間接してみて、「こうい
う人だったのかぁ!」とその個性の違いを楽しんでいます。
一方、私はと言いますと、写真はカメラが趣味というよりも、登山や旅で出
会う美しい風景や、近所を散歩する中で見かける季節の移り変わりを撮るの
が好きで細々とやっていました。ここ最近は八重山諸島の風景がお気に入り
で、旅に出てはカメラ片手にぶらぶらしています。
面白いのは、旅に出ても、人や自分などの人物を撮るよりも、風景を撮るこ
とに一生懸命になることです。
今回プロフィールを書くために自分を振り返って、小さい頃、両親の故郷で
過ごした時間と体験が私の自然好きの原点だと気がつきました。
それらは、瀬戸内海の島だったり、小さい山々に囲まれた当時は田んぼや雑
木林のある小さな町だったりします。
今気に入っている八重山の島には、そのころ感じた「におい」や「空気」が
あるような気がして、そのなんともいえない懐かしさが好きなのです。
作風は、幻想的抽象的というより、写実的で、ガイドブックで紹介するよう
な感じのものが多いのが特徴です。
風景に対して、美しいものを、感動した瞬間を「切り取っておきたい」とい
うのが一番強い動機となっています。
自分の心の中には、「地球上には、私たちの国には、私の住んでいる地域に
は、こんな素敵な自然があるんだよ。それを失うも生かすも、私たち自身の
行動や気持ちにかかってるんだよ。もっと大切にしようよ。」ということを
「伝えたい気持ち、知ってもらいたい気持ち」があるのを自覚しています。
「何かを感じてもらいたい、感じるのはその人の自由」というHさんの作品
とは違う表現になるのは当然だなぁと思いました。
そして、私はまた、作品に対してある種の「完全であれ」を持っていること
にも気がつきました。、
構図にはうといのですが、撮影の段階または印刷の段階でノイズ(ざらざら
した色合い)が出るのが気に入らなく、どうもしょっちゅう「これもノイズ
があるんだよねー」と会場でつぶやいていたようです。また、「レンズの反
射がはいちゃってるのって、技術知らないみたいでかっこ悪いよねー」とも
思っていました。
それに対しH氏は、「ノイズは気にならないんだよねー、ノイズが多少あっ
てもそこから感じられるものがあるならいいじゃない」「レンズの反射だっ
て、それがあるからいいって言う人もいるし、わざとそういうのを入れるプ
ロだっているって聞くし」という考えでした。
互いの作品の中で空や海の写真が多かったのが共通していた点でしたが、一
口に風景の写真と言っても、それとの向き合い方・かかわり方、表現につい
ての考え方などそれぞれであり、それだからこそ多様で楽しいのだと感じま
した。
そして、作品として表現されたものには、その人の「心の器」にどんなもの
が入っているかがちゃーんと現れるものなのだと、あたりまえのことを再認
識した、楽しく興味深い体験となったのでした。
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