--2005/10/28----------
◇「“心の器”の中身(4) 〜友達と過ごす時間・共有体験〜」
「心が、体験やそれにまつわる気持ちを貯めていく器だとしたら…?
それぞれの人の“心の器”には、どんなものがどれくらい入っているのかな?」
時々そんなことを考えたりします。
今回は、「友達と過ごす時間・共有体験」についてです。
カウンセリングの勉強会でおつきあいのある先輩方との間で、時々次のような
ことが話題にあがります。
「最近の子ども達の悩みの中に、
『友達の作り方がわからない』というのがあるそうよ。
友達って、わざわざ作るものなのかしら?
自然に『なる』ものじゃないのかしら?」
先輩方といっても、私の親くらいの年齢の大先輩から5〜6歳年上の方々まで
幅広くいらっしゃるのですが、みなさん「そうよねー。不思議よねー。」とい
う感じの反応です。
先日、時間の構造化のことを少し復習していた時に、ふとこの会話を思い出し
ました。そして、こんなことを思いました。
なぜ、今の子ども達は、
「友達ができない」でなく「作り方が分からない」と悩むのか?
(もしかしたら、学生さん、お母さん方同士などもそうかも?)
もしかしたら、自然に友達になっていくプロセスを経るほど、
共に時間を過ごしていないのかもしれない??
だから、「なる」のではなく「作る」かかわりを意図的にしないと、
友達もできないのかも?
学校が終われば、塾に習い事。遊ぶためにも「アポイント」が必要なのだと
子どもを持つ友人から聞いたこともあります。
そういえば、私の自宅の近所にも小学校はありますが、放課後の時間帯に家
の近所を出歩いても(フリーランスなもので)、子ども達の姿はほとんど見
かけることはありません。
これは、あくまでも私の推論ですが・・・。
「親交」とまではいかなくても、そもそも友達同士遊んだり、気持ちをぶつ
け合ったりする時間そのものが、今の大人世代と比べて減っているのかもし
れないと、ふと思ったのです。
もちろん、ソーシャル・スキルそのものの問題もあるでしょう。
それにしたってもそもそもは、人とのかかわりの場数を踏むことで身につい
ていくものです。
場数を踏むためには、それだけの「経験のための時間」が必要だと思いませ
んか?
そして、何度も繰り返すプロセスの中で体験していくことが・・・。
人が他者との関係を構築していくには、たいていは時間が必要です。
互いに交流する時間を重ねることで、どんな人柄なのか、価値観なのか、ど
こが自分と合うのか違うのかなどを理解し、また、体験を共有し、気持ちを
共有し、親しみを覚え、「つながり」の手ごたえを感じていくものなのでは
ないでしょうか?
時にはケンカしたり葛藤が生じたり、心が離れることもあるでしょう。
そんな時に湧き上がってくる自分のマイナス感情と上手に付き合ったり、相
手との関係を修復したり、折り合ったりすることも、時には必要でしょう。
悩んでいる彼らが「友達作りの方法(ノウハウ?)」にどのようなものを求
めているのか分かりませんが、プロセス抜きで一つ二つのスキルやノウハウ
だけで簡単に友達を「作る」ことができると期待しているのであれば、それ
は何か違うなぁと思います。
(彼氏・彼女にも同じことがいえますよね。「作る」のではなく、自然にそ
うなれるプロセスを積み重ねたらいいのに・・・。)
そういえば、つい最近、道で小学生中学年くらいの2人の少女とすれ違いま
した。一人は自転車に乗って(Aちゃんとします)、一人は今にも走り出し
そうな早足でした(Bちゃんとします)。
A:
(自転車に乗ったまま、ペダルを逆回転して惰性のスピードで走りながら)
「ねぇ、早く!私が合わせてあげてるんだから、あなたも合わせてよ。」
(私・・・なら降りて押して一緒に歩いたらいいのに)
B:「うん」(あせって小走りになる)
A:「○○ゲームしようよ。
あれをたーくさんやると、親友になれるんだよ。」
(私・・・ほんとかなーーー)
B:「ほんと?(追いついて横に並んで、うれしそうに)」
(私・・・なんか、友達というより支配されてないかい?
この子達は今後本当に「親友」になれるのかなー・・・)
一緒に遊ぶといっても、相手と直接向き合う遊びはどれくらいあるのでしょ
うね? 今の遊びの中に。
ゲームなどは、そういったツールを介してコミュニケートしているけれど、
お互いの表情を見たりするより、画面やツールを見ている時間の方が多そう
ですし。
鬼ごっこなど道具がなく自分そのものだけで相手と関わりあい、ふれあうよ
うな遊びも、かつてほどはなくなっているのかもしれないとも思ったり・・・。
このところ、批判おばさんになってしまっていますが、子どもも大人も忙し
すぎて、人との関係にもインスタントのようなものを期待しているのではな
いかと感じてしまうことが少なくありません。
経験の積み重ね、プロセス、
共に過ごす時間をより多く持つ、熟す、待つ・・・
ふれあう、見つめあう(アイコンタクト)、気持ちをぶつけあう・・・
そういう、まどろっこしい、どろくさい、照れくさいことを、あらためて見
直してみたい今日この頃です。
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