--2005/09/27----------
◇「“心の器”の中身(3) 〜五感の体験と親子の会話について〜」
「心が、体験やそれにまつわる気持ちを貯めていく器だとしたら…?
それぞれの人の“心の器”には、どんなものがどれくらい入っているのかな?」
時々そんなことを考えたりします。
今回も、心の器の中身のことで最近気づいたことについて書いてみたいと思い
ます。
今回は、五感の体験、会話についてです。
このところ、電車の中でこんな親子の姿をよく見かけるようになりました。
母親は携帯で誰かにメールを打ち続けている。
子どもは隣で、ゲーム機に夢中。
二人の間に会話はありません。
また、二人とも、手元の小さな小さな画面の世界だけと、ずっとコンタクトを
取り続けています。
日常生活の中で、親子のあり方が「いつも」もしくは「ずっと」そんな状態で
はないとは思いますが、こういう機会が多い子どもの心の器には、どんな気持
ちや体験がたまっていくのだろうかと、気になってしまいます。
車窓に流れる風景は、さまざまです。
人々の姿やさまざまな建築物、たくさんの種類の車といった、私たちの暮らし
ている社会や人々の営みがうかがい知れるもの、季節の移り変わりを知らせる
自然の色どり、二度と同じ表情を見せない空の模様や色・・・。
そういうことに目もくれず、車両の内部にも関心を払わず(いつも関心を払わ
なくてもいいにしても、学ぶことや危険などもあることでしょう)、同じ時間
と空間を共にしながらそれぞれが自分の世界だけに没頭して、会話もなく、互
いにも関心を払っているのかないのか分からない親子・・・。
そんな様子に、違和感を感じるのは私だけでしょうか・・・。
何がどうだとうまくいえないのですが・・・。
そういう体験をしている子どもたちを見て、もう一つ感じることがあります。
頭やバーチャルの世界が多くて、自分の五感を使って全身で体験することが少
ないのではないか?そういう子ども達はどんな感性を持って大きくなるのだろ
うか、と。
子ども達の間で「ムシキング」という、さまざまな昆虫を強さなどのランクに
分かれたカードを使って勝負のゲームをすることが流行っているのだと、テレ
ビの番組で見ました。
カードに登場する虫の名前をほとんど覚えている子ども、お年玉などのお小遣
いをそれにつぎ込みコレクションを自慢する子どもなどいろいろな子が登場し
ていました。
強さなどももちろん把握しています。ただし、リアルの世界の個々の虫たちの
ものでなく、カード上の分類として。
そんな子ども達に、実際にカブトムシなどをさわらせる実験を試みるという番
組でした。
驚いたことに、あんなにカードの虫のことをよく知っていて大好きなのに、生
きた本物の虫が怖くてさわれない子ども達が続出しました。
また、何グループかの親子で、実際に夜の山林に分け入りカブトムシなどを捕
まえに行くのですが、あんなに大好きな虫が自然の中で樹液を吸っていたりと
いう本来の姿を前に、ただ固まってしまっている子もいました。
もちろん、そんな子ばかりではないでしょう。
また、初めての体験には驚きや恐れが先にたつことがあっても仕方のないこと
でしょう。
次の機会には、彼らも平気で生きた虫たちをさわれるようになれるのかもしれ
ません。
「次の機会」があれば・・・です。
自然と触れ合う体験、五感のアンテナを張り巡らせて全身で感じる体験そのも
のが少ない子ども達も多いのかもしれない。私たちが子どもの頃と比べて。
そんな風に思います。
私は小さい時、親戚のおじおばやいとこたちと夜の山林にカブトムシを捕まえ
にいった経験があります。また、小さな山をよくハイキングしました。
足の裏に感じるアスファルトでない土の感触。石や木の根がごろごろしている
感触。木々や土のにおい。虫や鳥の鳴き声。そよぐ風の音。樹液を舐めてみた
り冷たい清流をすくって飲んだり・・・。
画面の中でボタン一つで死んだり生き返ったりする命でなく、ちゃんと世話を
してやらないと死んでしまう虫やペットたち、好奇心で遊んでいるうちに殺し
てしまった虫たち、道端などでであった虫や小動物の死骸、河原の草むらに落
ちていた野良犬の頭蓋骨・・・。
そういう体験が、今どんな風に役立ってるかは分かりませんが、少なくとも、
自然とのつながりを感じ、自然環境を大切にしようという心にはなっていると
自覚しています。
人との関わりもまた、画面の中のメールという文字だけでなく、やはり顔を合
わせて共に協力し合い、語り、笑い、触れ合い、時にケンカしたりということ
をいろいろな世代の人とたくさん体験し、それを「肌で感じ」て積み重ねてい
くことが大切な気がします。
こんなにいろいろなものが便利になった時代だからこそ、五感を使った体験や
あえて人の中でもまれる体験が必要で、しかしそれは、かつての時代のように
身近に自然にあるものではなく、わざわざそのような環境や機会を作って意識
的に体験していかないと不足しがちなままの人生になるのかもしれないと考え
たりします。
あくまでも、私の体験の積み重ねの中での考えですが・・・。
みなさんは、どんな風にお考えでしょうか・・・?
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