--2005/08/31----------
◇「“心の器”の中身(2) 〜つながり感〜」
「心が、体験やそれにまつわる気持ちを貯めていく器だとしたら…?
それぞれの人の“心の器”には、どんなものがどれくらい入っているのかな?」
時々そんなことを考えたりします。
前回に引き続き、今回も、心の器の中身のことで最近気づいたことについて書
いてみたいと思います。
今回は、他者との「つながり感」についてです。
この夏、見て、体験して、感じたことを書きたいと思います。
この夏、沖縄の離島に行ってきました。
夕日の写真を撮影することと、島のお祭りを見るためです。
その島には知人(仮にAさんとしておきましょう)がいるので、単なる外から
眺める観光でなく、コミュニティに入って、肌でいろいろと感じさせていただ
きました。
お祭りは、島あげての行事なので、島の人たちの多くは何らかの「役割」を持
ちます。
当日に伝統的な踊りや武術の演武などいろいろな出し物があるため、その担当
になった人たちは、それぞれ当日に向けて練習をするそうです。
出し物の一つに「棒術」というものがあります。
農民と武士の戦いを演武にしたものですが、2人一組になって笠や鎌など農具
や槍・なぎなたなどさまざまな武器を持った若者たちが、勇ましい掛け声とと
もにその闘いの様子を演じてくれました。
棒術の演武はとても力強く、その祭りでの見せ場であり、演じる彼らは花形で
あることがよくわかりました。とても素晴らしかった!!
その若者たちの中に、今年初めて棒術をやるというAさんの息子さん(B君)
がいました。
B君は、沖縄本島で生まれ育ち、その島にはたまにAさんにつれられて帰省す
るだけだったので、これまで本人が中心となった人のつながりは親戚の人以外
は持っていないようでした。
今年は、本番に向けての練習のために、一週間前から島に入り、初めてその棒
術のグループに所属したわけです。
そこは、同じ演武する立場である若者たちのほかに、ほら貝やドラの演奏をす
る人、演武の指導をしてくれる先輩方などで構成されていました。
高校生から、多分きっと50代くらいの方々まで、年齢層もさまざまでした。
演武する人たちも、高校生から30代までと幅広いものでした。
お祭り当日の夜、この棒術のメンバーたちの慰労会に、途中からでしたが混ぜ
てもらう機会を得ました。
高校生から50代の人たち、そして、私のような部外者だけれども縁のある人た
ち30人弱は、雨上がりの雲が流れていく夜空の下、広場の芝生にめいめいダン
ボールの座布団を敷いて輪になって座り、飲み物やつまみに舌鼓を打っていま
した。
Aさんから、島の中で特にこの棒術のメンバー同士のつながりは強いものだと
聞いていましたが、B君もすでに、メンバーの一員としてすっかり溶け込んで
いる様子がうかがえました。
彼自身を中心とした人のつながりを彼が獲得したことがよくわかりました。
彼はもうAさんに“連れられる”ことなく、自分から進んでこの島に通うこと
になるのでしょう。彼自身の「つながり」が持てたから。
途中、中堅メンバーが、40代・50代の先輩方へ不満をぶつけるという場面があ
りました。
メンバーの援護をして発言する別の人、開き直ったような態度を取ってしまっ
た先輩に「そうじゃなくて」と理解をうながそうとする人、横から口を挟もう
とした人、それに対して「お前は今は黙ってろ」と場を調整する人・・・。
ケンカになることなく、互いに率直に発言し、周囲には思いやりを持って見守
る人たち…。そんなやりとりを、若者たちはじっと見ていました。
また、役員交代の話のとき、後任に推薦された方がなかなか引き受けたがらな
かったのですが、その人の言い分も聞きながら、条件を譲歩して引継ぎ時期を
折り合って決めていくプロセスも、若者たちはじっと見ていました。
あぁ、こうやって、若者たちは学んでいくんだなと、しみじみ思いました。
同じ島で暮らしていく人同士がうまく人間関係を保っていくためのコミュニケー
ションのあり方を、世代を超えた集団の中で学んでいく機会が、彼らにはある
のです。
彼らの中、そのグループの中の指導する側の一人に、Aさんのいとこで私と同
い年のCさんもいました。B君からみたらおじさんにあたる人です。
Cさんは16歳くらいから毎年棒術を演じ続け、つい最近、後輩にその役割を譲っ
たのだそうです。
指導を受ける側だったのが、今は指導をする側になっている。
その長い年月の中で、先輩が去り、新しい後輩が入ってきても、彼らは「棒術
のメンバー」という深い絆でつながり続けて行く・・・。
そして、人と人のつながり方を学んでいく、伝えていく・・・。
また、Aさんは、別の出し物の担当で、高校生の時に島を出てその後は帰省し
てお祭りに参加しているのだそうですが、帰ればこういう仲間や先輩、幼馴染
みがいる・・・。深いつながりを持っている・・・。
Aさんに話を聞くと、自分はこの島で生まれ育ってよかったと、しみじみ語り
ます。Aさんという人を形成する「土台」として心の中にあるのでしょう。
お祭りでは、島の子どもたちも子ども向けの役割があって、相応にできること
でお出し物に参加していました。
そのような場に身を置くことで、家族だけでなく、島のお兄さんお姉さん、よ
そのおじさんおばさんたちのコミュニケーションのあり方を肌で感じて学んで
いくことでしょう。
子どもが少ないので、周りからたくさんのストロークをもらうことでしょう。
子どもたちの目は輝いていました。
お年寄りたちの目も輝いていました。
いつも誰かが気にかけてくれて決して孤独にならない、そんな印象を受けまし
た。
この島の人たちは「つながり感」を持って生きている、そう感じました。
そういうものがわずらわしかったり、つながるがゆえにこじれてしまったりし
て島を去っていく人もいることでしょう。
でも、私のように、親の転勤で幼稚園2つ、小学校3つ、関東と関西を行った
り来たりして「根無し草」のような感覚を持っている人間からしてみれば、と
てもうらやましいことなのです。
そんな自分自身を私は否定はしません。
こういう体験が心の器の中にあるからこそ得た学びや気づきだってあるからで
す。
ただ、人と人とのつながりだけでなく、幼い頃に身を置いた土地の風土や自然、
文化などとの「つながり感」があるということは、人が生きていくうえで、大
きなエネルギーや支えになることがあるのではないか・・・、最近そんな気が
するのです。
この島と出会ってから・・・。
そんなことを考えさせてくれる場所だから、私はまた機会を作って、この島を
訪れることになるでしょう・・・。
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