--2005/07/19----------
◇「“心の器”の中身」
「心が、体験やそれにまつわる気持ちを貯めていく器だとしたら…?
それぞれの人の“心の器”には、どんなものがどれくらい入っているのかな?」
時々そんなことを考えたりします。
今回は、心の器の中身について最近気づいたことについて、「ストローク」と
「自己評価・自己概念」の視点から書いてみようと思います。
つい先日、書棚やパソコン周りの整理をしました。
長い間とっておいてもめったに見ることのないモノの中から、本当にもう不要
なものを捨てることにしました。
その時出てきたのが、過去にワークショップなどに参加した時のノートでした。
ちょうど10年前のものです。
その中のワークシートのひとつに、今まで身近な他者から言われてきた言葉を
書いてみるというものがありました。
9つの空の枠があり、「誰から」「どんなことを」という2点を自由に書いて
いいものでした。
私は、友人、家族、職場の上司などから言われた言葉を、プラス評価のもの・
マイナス評価のものをほぼ半々ずつ書いていました。
その時どんな気持ちで書いたのか思い出せませんが、こんな感じでした。
最初の書き出し2つ目まではマイナス評価を書き、その後バランスをとりたく
なったのでしょうか、プラスのことをまた2つ書き…。
…結果、プラス評価4つ、マイナス評価5つという割合でした。
ただ、欄外に、次点候補みたいに10個ほど他の言葉も書いてあったのですが、
その大半はマイナス評価のものでした。
自分自身のことを肯定したい、でも、他者から言われたマイナス評価にもかな
り影響を受けている…そんな「私」が、そこにありました。
そのノートを見ながらあらためて気づいたことがあります。
プラス評価にしてもマイナス評価にしても、他者から何度も言われると「私っ
てそういう点があるんだ」と、それらを「自己概念」「自己評価」として取り
入れてしまっていることがあるということを。
プラス・マイナス、どちらの評価にしても、それ以外のことももっとたくさん
言ってもらえてるはずなのですが、私の「心の器」には、ある特定のキーワー
ドだけが強調されいつも目に付くようなところにある…。そんな気もしました。
要するに、他者からいろいろなフィードバックを受けるのですが、それらの中
からある意味「自分に都合のいい(プラス面もマイナス面も)もの」、あるい
は、「自己評価と合致するもの(他者から言われて、そうだと思い込んでいる
ものも)」には注目するけれども、そうでない評価については素直に聞く耳を
持っていないときがあるから、そういう風になっていくのではないかというこ
とです。
114号の「ほめられ上手」のコラムで、他者からプラスのフィードバックをも
らった時、しっかり受け止める前に、「いえいえ、そんな」と否定してしまう
癖がかなり強かった過去の私について書きました。
http://blog.mag2.com/m/log/0000006928/105592092?page=1#105592092
10年前に書いたシートの欄外のキーワードの多くがマイナス評価のものだとい
うことも、その当時の心の傾向を表しているような気がしました。
このような反応のあり方が、自らプラスの評価の自己概念を増やしていく機会
を無駄にしてきたのだとしたら、残念なことです。
カウンセリング場面や研修などで、自分のプラスの面・マイナスの面をあげ
ていただくことがありますが、「マイナス面は思いつくけれど、プラス面は
思いつかない」という方が時々いらっしゃいます。
極端なケースだと、本当に1つもプラス面を書くことができない人がいます。
今まで他者からどんな評価を受けてきた記憶があるのか聞いて見ると、マイ
ナス評価を受けたエピソードばかり出てきます。
でも、もしかしたら、心の器の中からそれらの記憶を繰り返し思い出して、
記憶を強化してきただけで、プラスの評価をもらった記憶は器の奥底に追い
やってしまっているのかもしれません。
実際、ゆっくり記憶をたどっていってもらうと、プラスの評価をもらったこ
とも思い出されたりすることもあるからです。
思い出すためには、きっと、相手から言われた時、その発言をいったんは聞
く・受け止めるという必要があるような気がします。
そのためには、心をオープンにして相手の言葉をキャッチするという努力
(人によっては)をすることだと考えます。
そうすることで「心の器」に、とりあえずは入るのではないでしょうか。
その後、そのことを忘れてしまっても。
しかし、聞かずに「いえいえ」と否定してしまったら、そもそも「心の器」
には入らないのかもしれません。
「心の器」に入れる工夫をせずに、「私は誰からもプラスのフィードバック
をもらえない」と落ち込んでいるとしたら、それは自分で自分を落ち込む方
向へと追い込んでいってるといえるのではないでしょうか。
交流分析では、人がその幼児期にどんなストロークをどの程度もらってきた
かが「基本的構え」を決めるといいます。
そして、その後も生きていく中で、その基本的構えを確認しようとすると。
それを打破できるのは自分自身のみです。
幼い頃の「心の器」に入ったストロークの質を今から変えることはできませ
ん。
しかし、これからどんなストロークを「心の器」に溜めていきたいかは、今
の自分が決めればいいことです。
確かに、幼い頃「心の器」に入れて今も持ち続けているものは、今の自分に
もずいぶんと影響していることでしょう。
でも、これからもその影響を受け続けるかどうかは、今の自分が決められる
のです。
ひょんなことから10年前の自分自身と出会ったことで、いろいろ考える機会
になりました。
え?そのノート、どうするかって?
また「めったに見ないけどとっておく」コーナーに保管しておきます。
今回のコラムをプリントアウトしてそれも一緒に…。
すぐに保管したことすら忘れてしまうのでしょうけれど、自分を振り返る機
会がまた訪れて今回のように偶然にそれを見つけたとしたら、その時の私は
どんなことに気づくのか、興味がわきましたので(笑)
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