--2005/05/24----------
◇「ほめ上手・ほめられ上手(2)」
前号で「ほめ上手」について考えていることを書いたので、今回は、「ほめら
れ上手」について書こうと思います。
かつて私は「ほめられ下手」でした。かなり「ほめられ上手」になれるように
意識はしてきましたが、今でも「ほめられ上手の“達人”」の域には達せてい
ないように思います。長年身につけたクセの修正は難しいと感じます。
そもそも日本文化自体が「ほめられ上手」養成には向いていないのかもしれま
せん。最近の子育てについてはよく分かりませんが、私のような高度経済成長
期・東京オリンピックあたり(あぁ、年がバレる)に生まれた世代は、子ども
の頃「しつけ」という名のもとに、プラスのストロークだけでなく、条件付マ
イナスストロークもたくさん受けてきた世代ではないかと思います。
たとえば・・・
よい子にしていても当たり前、兄弟げんかをしたり悪さをしたときに怒られる
(=ストロークがもらえる)
「受験戦争」過熱の時代、勉強をがんばっても当たり前、それでもまだむしろ
足りないところを指摘される。
そうでない家庭や学校もあったのかもしれません。
私自身は、自分の子ども時代を振り返ってみて、周囲の大人たちのかかわりは、
「加点主義」の視点よりも、がんばっても努力しても「まだまだ」と足りない
ところを指摘される「減点主義的」な傾向があり、そのようなかかわりの中で、
私自身も後者のものの見方を知らない間に身につけてきたような気がします。
それは、いい意味では、「謙虚」「おごらない」「高い理想に向かう」といっ
たような性格傾向を持つことに影響を与えていくことになったと認識していま
す。
でも、私の場合、一方で、「どんなにやっても自分に自信が持てない」「自分
のいいところより、マイナスの点の方に目を向けやすい」、そんな自分に対し
てさらに過敏に気になっていた思春期には、「自分を好きになれない」という
ところまでいってしまいました。
自分に自信が持てないことに対してもがき苦しむ状況は、社会人になってもか
なり長い間続きました。
そんなある時、たぶん30代前半だっでしょうか。
続けざまに、別々の人から同じようなフィードバックを2度受けたことがあり
ました。
相手がほめてくれている時に、私は最後まで話を聴かずに「いえいえ、そんな」
と謙遜の態度を示したのです。
こういう態度は、自分が思ってもいない時に相手がプラスのストロークをくれ
た時のいつものやりなれた態度でした。
心底、自分はそんなことを言われるほどのものではないと思っていました。
ですから、相手から見たら、かなり真剣に否定の態度をとっていたのだと想像
します。
でも、その時、相手の人が強い口調で言ったのです。
「私は、あなたのことを『いい』って言ってるんだから、
ちゃんと話を聴きなさいよ!
それってあなた、私の人を見る目や、気持ちも否定しているのよ!」
・・・と。
1度目のシーンの時は、単に驚いただけでした。
ほめてくれる人が今までのパターンと違う反応だったので、「私の反応は変な
のかな?相手の機嫌を損ねたのかな?」とうすぼんやり思いました。
2度目に同じような状況を体験した時、私は、ハッ!としました。
相手からのせっかくのプラスのストロークを、私は受け取ろうとしていなかっ
たのだと。
それは暗に、そのようなストロークをくれた相手に対して、「あなたの見方は
間違っている、あなたの気持ちはいらない」と言っていたようなものだったの
だと。
それからは、意識して、まずは相手のほめ言葉はさえぎらないで最後まで聞く
こと、そして、相手の言い分をいったん受け止めて、「照れちゃいますね。」
「ありがとうございます。」「うれしいです。」「光栄です。」などといった
言葉で、相手への感謝の気持ちを伝えるようにしました。
たとえ、内心「そんなことないですよー。」と思っていても。
ほめられたことがどうしても心苦しい時は、自分を否定する言葉(=他者の見
る目を否定する言葉)は、相手に感謝を示してから後、柔らかな態度で静かに、
時に冗談めかして軽く伝えるようにという工夫をしました。
自分にも余裕が出てくると、相手のほめ言葉を受け止めて感謝の気持ちを伝え
た時、言ってくれた相手がうれしそうな顔をすることに気がつきました。
これって、「ほめ言葉(もちろん気持ちも込められています)のプレゼント交
換」なんだなぁ・・・。それってうれしいよなぁ・・・。そう思いませんか?
今回は、恥ずかしながら、そんなことに遅まきながら気づかせていただいた
「ほめられ上手」にまつわる体験談でした。
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