--2004/10/25----------
◇「関心を持つ」ということ
このところ立て続けに起こる台風や地震の災害。あらためてお見舞い申し上げ
ます。
私は神奈川県北部に住んでいますが、震度5を超えた和歌山の東南海・南海地
震、茨城県での地震、そして今回の新潟県中越地震、いずれも不気味なゆっく
りとした揺れを感じました。
台風は、伊豆地方に大きな被害をもたらした21号が、たくさんの小枝や木の葉
を吹雪のように舞い上がらせ、まだ記憶に新しい広範囲で水害を発生させた23
号が、道路を小川に変えました。
幸い被害は何もなかったのですが、他の地方に住んでいる身内や友人たちから
は心配の連絡をもらいました。
私からもことが起こったたびに、心当たりのある人には心配やお見舞いの連絡
をしました。
この機会に、あらためて心配しあうことのありがたさ・暖かさを感じました。
また、反省もしました。「関心」がなかったり、日ごろのつきあいが薄れてい
たりすると、心配することすら忘れているということに気がついたのです。
まったく薄情者です。
長い付き合いがあっても年賀状だけのやりとりになってしまっている友人のこ
とを、後から「あ、あの地区に住んでたんだっけ」と思い出しましたが、連絡
するにはタイミングを逃してしまっていて、結局連絡しないままだったり。
でも、もしかしたら、タイミングを逃していても連絡をした方がいいのかもし
れませんね。
「どうしてる?元気?大丈夫?」
そうやって、「あなたのことに関心があるのですよ」というメッセージを伝え
るだけでも、人は元気になれるのかもしれません。
自分との関連・つながりがあると意識できると、心配もできるのですね。
また、直接ご縁がなくとも「他人事ではない」と何らかの「つながり感」を持
てたら、関心を持ったり心配することができるのだとあらためて思いました。
「関心を持っていますよ」「心配していますよ」「何か力になりたいのです」
そんな思いを、募金や救援物資を差し出す、傷んだ農作物を買うなど、何かの
「形」にして表すことで、少しでもつらい状況にいらっしゃる方々の力になれ
るのかもしれない。そんなことを思ったりします。
今、かつて自然災害などの被害にあった地区の方々が、「その時お世話になっ
たから」と、あちこちの被災地にボランティアのお返しをしにいっていると聞
きます。
人の心の美しさを感じます。
また逆に、「関心」がなければ、出来事は他人事として済まされ、気づかなけ
れば、存在していても「起こっていないこと」として葬られてしまう可能性も
あるのだなと、恐ろしい気持ちにもなりました。
「関心を持つ」しかも「相手の立場に立って」、ということが、今こういう事
態だからこそ大切なのではないか、と考えさせられる今日この頃です。
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