--2003/11/19----------
◇「失敗が起こることを予定した人生はよそう」
キャリアカウンセリングには、就職活動をがんばって続けていてもなかなか採用
にこぎつけないという方も訪れる。
最近もそういう方の相談を受ける機会があった。
その方との面接は初めてではないが、先日初めてその人のクセに気がついた。
最初から失敗することを前提として物事を考えているということ。
何か未来の姿、目標を語ってもらっても、最後に「でも、また不満が出て逃げ出
すかもしれない・・・。」という言葉ですべてを打ち消す。
こちらから「○○ということをやってみませんか?」と提案してみると、「やっ
てみます。でも、だめかもしれない。」と、やる前からだめになることを思い浮
かべる。
失敗が続くとさらに傷ついたり自身を失ってしまう怖さは、私にもよくわかる。
未来は誰も保証してくれないから、不安な気持ちに襲われることもよくわかる。
その人が言うには、最初からあまりいい結果になることを予測して失敗するとす
ごく落ち込むけれど、悪い結果を予測しておくと、悪い結果になった時に「やっ
ぱりね。」とショックが軽くてすむのだそうだ。
でも、それでいいのだろうか?
失敗して「やっぱりね」と思うということは、最初から失敗を予測している、極
端な見方をすれば、最初から失敗するように動いている可能性もある。
そんな風に、最初からダメになる予測を自分で立てることはしなくてもいいので
はないか?と、ふと思ったのだ。
最初から失敗を予定している「心」があるならば、「頭」でどんなにがんばろう
と考えても、前向きなつもりで動いたりしても、いい結果を得られないのではな
いだろうか?
「ダメになるかも」という思いがよぎっても、口にはしないことだ。
言葉にして自分の耳で聞くということは、ある種の自己暗示を自分にかけること
に通じる気がする。
「失敗するかも」という不安がよぎるのは誰にだってあることだが、そこで未来
予測を終わらせてその気持ちに浸ったり、心のエネルギーを使うより、「ならば、
成功するにはどうしたらいいか」ということのために心のエネルギーと時間を使っ
た方が、万が一失敗に終わってもよっぽど有意義で自分のためになると思うのだ
がいかがだろうか?
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