“心の教室”だより【2001年2月】
みなさん、こんにちは。私は、○○中学校までバスで通って来ています。バス停のところか
ら、学校への上り坂の途中、西の方向に、富士山や丹沢の山々がとてもきれいに見える場所が
あります。先日寒さがぶり返した時には、山肌に雪が積もっているのが見えました。時には、
とてもきれいなオレンジ色の夕焼け空に黒々とした山のシルエットを見ることもあります。こ
れらの風景は、私にとっては、ホッと心が和むものです。みなさんにも、心が和む風景や音楽、
場所などは、ありますか?
【コラム:「わたし」から「あなた」へ】 < 別れの季節、「心の居場所」について考える >
3月には「別れの季節」というイメージがあります。
卒業を迎える3年生は、クラスメイトとの別れと同時に、この中学校ともお別れです。1、
2年生も、今のクラスとはあと20数日でお別れですね。人によっては、家庭の都合でこの○
○中学校を離れることになるかもしれません。
そんなふうに「別れ」は、今のクラスや今の学校という、「形あるもの」から離れて行く意
味があります。そしてもう一つ、「心のつながり」が離れてしまうという意味もありますね。
形あるものから離れても、心がつながっていれば、心は元気です。心がつながっていれば、
クラスや学校が変わっても、多少さびしいかもしれないけれど、心は安心していられるでしょ
う。形としての居場所がなくても、落ち着いていられるでしょう。
形としての居場所(クラス、学校、家庭、職場など)があっても、心がそこに落ちつける場
でない、というのが、一番つらいのかもしれないなと、私は思います。目の前に人がいて、自
分もクラスや家庭の一員としてそこに「体」はあるのに、「心」がそこにいることができない…。
いても心は落ち着かない…。これはつらいことです。
心のつながりは、お互いの相手に対する「わかり合おう」「つながろう」という働きかけな
しには生まれません。たとえば、相手は何を大切にして、何が好きで、どんなことをしたら嫌
がるのか、どんなことをしてあげたら喜ぶかなどを、わかろうとすることです。同時に、あな
た自身も、そのことについて相手に伝えることです。そして、お互いに、相手も自分も心が嬉
しくなることをすることです。
別れの季節の後には、新しい出会いの季節がやってきます。新しいクラスや学校、職場など
が、あなたにとって心落ちつける居場所となっていきますように。
(*私にとっても、お別れの季節となりました。短い期間でしたがお世話になりました。)
<<[前へ]◆
|